川柳について あれこれ VOL1

◎川柳の楽しみ

川柳の楽しみ方は人それぞれである。
読んで楽しむ人、歴史を学ぶ人、投稿を楽しむ人、句会を楽しむ人、柳誌を楽しむ人、人と人との出会い繋がりを楽しむ人、とにかく作って楽しむ人、本当に様々である。川柳はそれだけ間口が広いということだ。おまけにそれぞれの間口が深いときている。

句を読む楽しさでいえば、新聞雑誌の投稿欄や企業の公募、柳多留の本は幾らでもあるし、古書店へ行けば古川柳だけでなく現代川柳の句集も手に入る。図書館で探してもいい。時間が許せば国会図書館という手もある。自分の興味のあるジャンルの川柳を追いかけるだけでもきりがない。

歴史を学ぶ・研究するとなるとこれも奥深い。何しろ江戸期のものは、柳多留として纏められるまでは、一枚刷りの紙切れなのだから、資料収集だけでも困難を極めている。また作品の性質上、当時の風俗、風習が解らないと全く意味の解せない句が数多い。現代の常識を持って理解できないものさえあるだろう。市井の人々と共に歩んだ川柳の歴史は、明治、大正、昭和の句でさえ難解なものとしてしまう。
研究者としては遣り甲斐のあるテーマであろう。

投稿を楽しむとしては、新聞、雑誌、インターネット、などありとあらゆる媒体で募集がなされている。より良いものを作ろうとすれば、世間の出来事に無関心ではいられない。何を見ても聞いても五・七・五に纏めないではいられなくなる。句会・柳誌・出会い・作句、とにかくどれ取っても奥が深い。今更ながらに大変な道楽だと感じている。
2005年04月


◎川柳は泥沼

いろいろな人が「川柳は泥沼だ」という。私もそう思っている。
簡単に楽しめるし、日々新聞を読んでいるだけでネタに困らない。いろんな趣味の中でもハードルが一番低いんじゃないかと思う。
なのに「泥沼」なのだ。きりがないのだ。

普通に投稿をして楽しんでいるうちはそんな事には気が付かないし、むしろ人生が豊かになったような気がする。ところが句会を知り、吟社を知るうちに、川柳の奥の深さに愕然とし、どっぷり抜け出せなくなってしまう。川柳と新川柳の認識でもきりがないし、伝統、革新と呼ばれる違いもきりがない。終いには「て・に・を・は」だけで何日も悩むことまである。
虚ろであれ、自分の川柳感が生まれてくればそれはもっと酷いことになる。金が掛からない代わりに、こんなに消耗する趣味は他にあまりないと思う
2005年04月


◎川柳の原始的本質

川柳の基本とは何だろう?
よく、「俳句に追いつけ追い越せ」や「教科書に川柳を」などの話を聞くと、川柳とはそんなに形式ばったものだったのかと、どこか釈然としない思いに駈られる。
歴史からいうと江戸時代に始まったものなのだが、代社会の中で川柳を考えた時、もっと原始的なものではないかとの印象を持つ事がある。
「言いたい事がある人が、言いたい事をいう」その道具としての「川柳らしきもの」が基本であり、原型ではないかと思うのだ。

遠い昔の和歌の時代、言いたいことをその形式に似せて詠んだ人間はいなかったのだろうか?
「そんなものは歌ではない」と断されても、詠んだ本人や、それを見た・聞いた人間にとってその短い文章はどのような意味を持っただろうか?
川柳は、特別な教養、修養、資格などなくても詠める。人口に触れ、口伝いに伝わっていき、歴史の中を生きていく。
まず言いたい事、動機があり、それをどのように効果的に伝えるか、そして伝えようとする試行錯誤の中で、様々な文芸・文学・学問の形態が生まれてきたのではないだろうか。たまたま「川柳」という名前を得て現代に存在しているだけであって、発句する動機は、人間が持つ原始的な欲求ではないのか。
2005年04月

◎巡航速度

川柳は高速道路のようなものだと思う。
百キロで合流した当初はそのスピードに目がついていかないが、直に百キロでは遅く感じるようになってしまう。
百二十キロ、百三十キロ・・始めはあんなにびくついていたハンドルのブレもにも慣れるというか麻痺してくる。
新しい刺激がどんどん色褪せていく。
だからといってどんどん加速して百八十キロ、二百キロとアクセルを踏んでいくと、そこはもう世間とは乖離した世界であり、危険で常識外れな行為になってしまう。

句会も始めのうちは見るもの聞くものすべてが新鮮な刺激をくれるが、目一杯作句に励んでいるうちに、それらは急速に色褪せていく。
あんなに上手い!素晴らしいと感じた句が、在り来たりの表現に思えてしまう。そして、もっともっと、と求めるうちに、世間一般に判らない句を大量に作ってしまっている。

その地点にいて、駄洒落が駄目だとか、言葉遊びでないと言ったところで何になるのだろうか?川柳には世間的な巡航速度も必要ではないかと思っている。
2005年04月


◎メディアリテラシーと時事川柳

メディアリテラシーという言葉がある。リテラシー(literacy)とは読み書きの能力の事を指すが、コンピュータリテラシー(computer literacy)などのようにそのものを使う能力の意味でも用いられる。
ここから転じてメディアを使う能力という意味で使われている。

メディアを使うとはどういう意味かというと、
第一に、メディアからの情報を読み解き、メディアがもたらす現実と、実際の事柄との相違点を認識または批判的に読み取ることでメディアに対する受容能力を築くこと。
第二に、メディアからの情報を受けたり、送ったりするハードを使いこなせる能力。
第三に、そのハードを使って表現や情報を発信し、コミュニケーションをとる事。
これら三つの要素からなっている。これはインターネットの普及につれ、今後非常に重要な概念になってくるものと思われる。

ところで、この要素、「時事川柳」に似ていないだろうか?
私達は、世の中で起こる事柄の大半を、新聞テレビなどのメディアから受け取っている。情報をそのまま聞いたり、聞き流したり、感心したり、と様々であろうが、時事川柳を作る場合は、まずメディアの情報をまともには取り込まない。
いろんな角度から(わかり易く言えば)ケチを付ける。
そして「川柳」というハードを用いて、意見や情報として発信する。

どうだろう、学校教育の場に「川柳を」というのなら「時事川柳」を導入できないだろうか。
今後、情報の双方向性がより日常の事として浸透していくと、メディアリテラシーの概念の中でも、特に第一と第三の点についての教育・指導に「時事川柳」はもってこいだと思うのだが。
2005年05月


◎一句の価値

大雑把に分けて、現代川柳には二つの考え方がある。
一つは作者も含めた人間を観察し詠んでいく事。
もう一つは作者自身の内面を詠んでいく事。である。

人間を観察していくという事は、世間が認識している「川柳」に近い面も持っているが、作者自身を詠むとなると、その句を鑑賞する側にもそれなりの予備知識が必要になってくる。
「私川柳」とでも言おうか、作者の人となりを知った上でより深く句境を重ね合うことができる。
川柳という短詩形態の可能性という面では、この考え方を支持することができるが、実作となると、ある程度作者から独立していた方が良いのではないかと思っている。

価値といっても、一句幾らという話ではない。
どれだけ人の口に伝えられていくのかという意味だ。

発表された時点である程度の同時代性を持つ川柳が、時代を超えて存在するためには、作者という唯一の人物から離れても句境の維持ができなければならない。
作者の経験、パーソナリティーからのみ生まれる川柳がどこまでそれを維持できるのか、逆にそれを維持するためのパッケージが必要だとすると、それは何なのだろうか、と考える。


◎句の独立性

句が時代を超えて存在するために、作者という(号)からの独立が必要ではないかと書いた。そのためには作者自身の経験だけでなく、その耳目で観察したもの全てが作句材料となるのだ。
これは、「嘘」を書け、ということではない。
川柳でいう「嘘」とは人間という存在に関する「嘘」であり、作者のパーソナリティーに関する「嘘」とは別だと考えている。

誤解を怖れずに書くと、
「世の中は愛こそ全てであり、自由や平和がもっとも大切で、汗の結晶ほど尊いものはない。みんなが助け合い、弱者を助け、不正を許さない事が社会の目標だ」
こういうことは建前であり、そうでない事が多いし、その事で悩み、悲しみ、苦しむ、そこに叫びがあるし、川柳が存在する。現実から目をそらした建前だけの句は「嘘」の句だ。そんなものが時代を超えて残るとすれば「川柳」としてでなく「標語」としてであろう。

だからといって、川柳を作るためにひねくれ者になれということではないが・・
2005年05月


◎シニカル

世間に受ける川柳は、やはり笑いのあるものになると思う。いや、そう感じている。しかしその笑いが「ガハハ」と腹を抱えるものかどうかというと違うと思う。人口に継がれていくものは、どこかシニカルでなければならないのではないか。
江戸期の川柳が第三者的視点を持って作句されていたのもそこに通じるのだと考えている。どこか社会一般の通念や人間賛歌を謳う文化的なものを無視または軽視した態度や、「どんなに偉そうな事を言っても人間は所詮・・」といった冷笑的な視点。それを以って人間の本質を突く。
そこに生まれる笑いが読む者に裸の人間を感じさせ、同時に人生の果敢無さを笑いに昇華させているのではないか。
だからといって作句者自身が哲学でいうキニク学派 のような生活をせよという事にはならないが。
2005年05月


◎「号」について1

サラリーマン川柳ばかり例に挙げて申し訳ないが、「号」のことを考えてみた。
大手の新聞誌上では余り見かけなくなったが、夕刊紙や業界紙、また雑誌・週刊誌の中でも若い年齢層をターゲットにしたものには、サラリーマン川柳的な「号」というか「ペンネーム」というのか、「駄洒落」「こじつけ」「語呂合せ」的な作者名が多い。柳誌や句会で川柳を楽しんでいると、それだけで句をも含めて悪ふざけのように感じてしまう。
ところがそんな中にも凄い句があったりする。そんなときにその作者はどう感じ、何を思っているのだろう。
一般的に言って川柳には、どこか後ろめたいというと適切な表現ではないが、お上に対しての反骨といったものがあり、それは作者の思いであると同時に、読者の思いの代弁でもある。
ところが現代川柳はそんな一般の認識よりも深く表現の可能性を模索している。
後ろめたいといったのは、弱者から強者への寸鉄に対する匿名性をどう担保するか、句は本気なのだが「号」「ペンネーム」での軽々しさをもってその釣り合いを保とうとしているのではないのか、そんな感じがするからだ。
当然現代川柳界に属している者は、句が本気なのは当たり前、そしてその句は自分のものであり自分自身である。
おかしな「号」を付ける・使う事は自分自身を貶める行為になるのである。
この事が一般に理解されるには、どうしたらいいのだろうか。
2005年03月


川柳家が「号」を大切に考えていること、おかしな「号」を残念に思っていることを世間一般に何とか理解してもらいたいと思っている。
などと書く私も、最初は投稿ペンネームに「中途半端」をもじった「中戸帆波(ナカトハンパ)」というのを使っていた。
故西村九千坊氏からご指摘を受け、「帆波(ホナミ)」という読み方を使うことになった。
今思えば、本当にありがたいご指摘だった。
川柳界は「号」で呼び合う。もし私が「ハンパ」のままだったら。「こんにちはハンパさん」や「あっ、ハンパさんこの間ね」等と呼ばれ続けたのだ。活字になった時に、句の後に「帆波」と載ると字面がいいなぁと、勝手に考えていたが、音にするとやっぱり「ハンパ」ではおかしい。「ハンパ」だったら、別の名前にしていたか、句会へは行かなくなっていたかもしれない。

ところが哀しいかな、柳多留から今まで、人口に登るのは「句」であって「号」ではないのだ。川柳界では逆の場合も多いが、それでも良い句を諳んじて作者名が出てこない場合があったり、作者を取り違えてしまう事がある。
「号」が「句」を超える、というと大げさだが、そういう事はあるのだろうか。
2005年03月


◎メディアリテラシーと時事川柳U

メディアリテラシーという言葉がある。
といってもentertainmentの直訳である[余興・演芸]性というのでは説明が足りないのだが、どのように読み手に消費され、それによって読み手に様々な感情を沸きあがらせ、楽しませる事が出来るのか、そういう事である。
十七音字で言い尽くしていると思っているのは「作者」という「読者」であって、世に放たれた時点で「句」は一人歩きを始める。現代川柳は特に、感情の吐露であるだけでなく、詩性・情念などをも含んでいる事が多い。
川柳作家という人間が存在し、その人間が人間を詠んだものを、読者という他人が読み、判断し、感じ取るのだ。だから一句の鑑賞には千差万別の捉え方が存在する。

そこに「句を読む」楽しみがあるのだが、この部分が世の中の川柳認識と、川柳界の川柳との大きな違いでもある。おかしくて、穿ちがあって、さらりとしているのだけが川柳ではない。
誤解のないように記するが、そういう川柳がレベルが低くて、詩性・情念を含むものがレベルが高いということではない。人間が人間として人間を詠む、という欲求を満たす川柳というジャンルが持つ幅の広さの中にある違いに過ぎないのだ。
だから川柳家は「号」を大切に思う。
「号」は「句」が発せられた出発点だからだ。
2005年03月


◎女性の川柳

「女性が川柳を駄目にした」という話を以前よく聞いた事がある。最近は句会でも女性が多くなってきたので余り聞かなくなったが、確か「生活のちまちました事(いわゆる台所川柳)」や「感覚的・観念的な句」が増えた事が句会を詰まらなくした、というような意味で言われていたのを覚えている。
確かに句会の小粋な面が減ったと感じる事はある。だからといって「川柳」が詰まらなくなったとは思わない。むしろ雑詠の場で女性の感性が川柳の新しい可能性を広げたのではないだろうか。温かさと切なさが同居したような句は女性の独壇場と言っても良いかもしれない。
古くは、林ふじを、笹本英子から、時実新子・森中恵美子、各氏の句の世界を羨ましく思う。
2005年03月


◎伝統?革新?

新川柳は古川柳から続く第三者的視点を捨てたわけではない。その視点に自己内省的視点、一人称・二人称的視点を加え、取り込んだのである。川柳はその進化の途中で自らのフィールドを広げたのである。
従って、「伝統」「革新」などと分類する行為は、実作の場では意味を持たないと私は考えている。問題は、抜句結果が評価の対象になる句会場で、高点句への模倣として起こる「伝統・革新」の責めぎ合いだろう。
雑詠と違い課題吟では、句意そのものの評価は勿論であるが、課題からの距離等も評価の対象になる。従って難解な比喩・暗喩を用いた作品は、課題吟の選にはそぐわない場合が多い。「課題吟」の選考は句箋に対してなされ、「雑詠」の選考はその選者自身の「川柳観」に対してなされるものなのだ。
2005年02月

心象句が一行詩やいわゆる自由律俳句のような形を取る時、世間一般の読者や句会中心で楽しんでいる柳人、伝統と呼ばれる吟社の参加者にとって、それは「川柳」ではないものと写る。
しかし作者は「川柳」として作句しているのだ。
これは単に川柳観の違いという事だけなのだろうか。
作者は何をもって、それは詩ではない、俳句ではないとしているのだろうか。
前にも書いたが、川柳の幅は広い。その広さゆえ川柳界では、作者が意識する読者層を自ら選択・選別するということが起きる。
伝統・革新などと言ってはいるが、実は単なる手法の差に過ぎないのではないか?
2005年02月


以前、某柳人と話しをした時に「伝統」の意味について考えた。その方は、以前テレビで放映された十何代続く人形師を例に「伝統とは革新である」とされた。私も和紙職人の話で、同じ事を聞いた事があったので意見が一致した。そう、「伝統とは革新」なのである。
何故ならば、今現在に生き続けている「伝統」というものは、過去からずーっと存在しつづけるために「革新」を続けてきたものだからだ。そうでなければ、時代に生き残っていられない。常に今の時代を生きていく工夫が「革新」である。
そうなると、日本人の意識の中にある「川柳」と川柳界の「川柳」の大きな違いが見えてくる。人々の意識の中にある「川柳」は常に時代と共にある。
では川柳界はどうだ。

過去のある地点を「伝統」の手本として、そこへ回帰する事が「伝統」であり、また過去のある地点に生まれたとされる「革新」への回帰を「革新」としてはいないだろうか?
2005年02月


伝統は常に変化していく。変化がなくては時代に生き続ける事が出来ないからだ。
これは川柳だけの事ではない。そしてどんなに変化をしても変わらないものがある。いや、変えてはいけない部分がある。

カルロス・ゴーン氏が日産の社長になってから生まれたスカイラインのプロトタイプには、丸いテールランプがなかった。ただそれだけでスカイラインはスカイラインではなくなった。私だけではなく、多くの人がそう思ったことだろう。
結局丸いテールランプは復活する事になる。
GTRの復活はまだ先だ。しかし、変えてはいけない部分に手を加えたGTRは出ないだろう。いや出せないと思う。自動車というカテゴリーの中でさえ、こういう事がある。

短詩文芸の中の「川柳」にもそういう部分があるはずなのだ。「革新」は常に進歩だとは限らない。全く別の、新たなカテゴリーとして、世に伝えられていく事もあるからだ。

川柳界のいう「革新」は「どこまで表現して良いのか」「どこまでの表現が使えるのか」という川柳の限界を模索する行為であって欲しい。そういう探求の行為であって欲しい。
2005年02月


◎川柳の認識

五・七・五の形は、句意を理解するための読者へのマニュアルであると考えている。
しかしこれは、あくまでも基本の基本であり、全ての句の意味の切れが、五・七・五になっているという事ではない。ましてや、五・七・五で意味も音も切れていなければ、川柳とは呼ばないというものでもない。
ならばどんな形でも作者が「川柳」と呼べば川柳なのか、作者が川柳と呼び、読者も川柳と呼べばそれでいいのか。
この点についてそうだと言い切れないところが、川柳の難しい部分ではないか。

心象を扱っていくと、世の中的に川柳と扱ってもらえないものが生み出されていく。その世界にいるものにとっては紛れもなく「川柳」であるにも関らずにだ。
だからといって、サラリーマン川柳を100%川柳だとは世の中は認識していない。昨日よりは今日、今日よりは明日。「同じようなものだね」と認識された時点で最新のものがどんどん色褪せていく。これまで以上の衝撃を、見る側は期待している。
句会川柳も、詩性川柳も常に色褪せないために苦闘していく。毎日素振りをしている者と、たまにバッティングセンターに行く者とでは、問題として認識する事柄に大きな開きが出てしまう。
誰にでも判るという部分と、訴えたい・主張したいという欲求の狭間で、句箋は揺れ動いている。
2005年02月


◎冠句と川柳の違い

以前「冠句」専門の月刊誌を購読していたことがある
冠句というと傘附けと同じように見られることがあるが、私が感じた中では、微妙に、そして大きく違う。

上五が出題され、それを題として、関係する附け句として七・五の附け句を考える、という雑俳的な考え方でなく、上五が表現する時空間の中に存在する自分を、十ニ音で表現していくのが冠句だと言える。

十ニ音で独立しているのだ。

冠の五音は十ニ音を引きたてるための舞台装置だといってもいい。これは、本当に難しい。
武玉川で知られる、七・七形式の十四音より二音も少ないのだ。
つまり、川柳的感覚で題として与えられた上五から励起され、十七音で独立した句の中で配置されている言葉の意味や関係性と、冠句の十ニ音の中で構築されているそれとは微妙に違っている。
私にはどうにも難しくて、納得いくものが作れないまま縁遠くなってしまった。

風九月 崩れしままの将棋盤   帆波(平成9年9月)
樹々芽吹く 父も少うし丸くなる 帆波(平成10年2月)

短詩文芸と言うものは本当に奥が深いと思う。
2005年02月


◎川柳の存在感

私は、俳句の世界の事を全く知らないので、これから書くことは俳句をされている方には失礼な点もあるかもしれないが、俳句の会の数の事である。
兎に角膨大な数の俳句の会が存在する。
結社という形でなくとも、各地の町内会や、商店会、老人会など非常に高い確率で俳句の会は存在している。知り合いの老人会には、数個の俳句の会があるという。
一つの町で言えば、数十から百を越える数の俳句の会が存在しているであろう。

さて、川柳はどうか。
町内会での川柳クラブなるものは、ないことはないと思うが、まず聞いた事がない。一つの町でも十あれば多いほうだろう。しかし、川柳を作り、新聞・雑誌・などに投稿される人口は相当な数になる。句会・結社に所属していなくても、川柳は生活の中に存在している。

俳句がそうでないとはいわない。つまり俳句の窓口たる俳句の会は、俳句をやってみようという人達に近い世界なのだが、川柳の会は川柳をやりたい・作りたいという人達にとって、近いとか遠いとかいう以前に、存在感が希薄なような気がしている。

川柳は俳句より気楽にできるという、社会一般のイメージがそうさせているという事もあるのだが、逆いえば川柳の存在というものが、学校で教えていないにもかかわらず、日本人の中に根付いているともいえる。
気軽にできるのが川柳で、ちょっと習わないと上手くなれないのが俳句という認識を世の中がしているのだとしたら、川柳界の存在意義は、その評価へのチャレンジであると思うのだが。


                      
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