川柳について あれこれ VOL4

◎定型についての考察

日本史で言う神話時代、日本人は農耕と狩猟の生活をしていた。
その中で生まれた「歌」
農作業の効率を高めるための掛け声や、豊作を祝う叫び、凶作を呪う悲鳴、狩猟活動中の合図、大漁を喜ぶ叫び、思わぬ事故による嘆き、そういったものが個々の集落において口伝として歌い継がれ、やがて広い地域にも伝播し、情報の共有をもたらすようになる。
これらは「日本」という自然環境と人間が共生していくための知恵の集積でもあったと思う。
この「歌」はやがて祭事につながり、集落の一体感や、男女の出会い、即ち、遺伝的弱体化を補完する行事のために用いられるようになっていく。
そして共同体の生産性が向上していくと、その中の個々人からも「歌」が発生するようになる。そうした「歌」は必ずしも共同体全体と時事の共有制を持つとは限らない。
「歌」を詠む人間の「思い」のウエイトがそれまでの自然発生型の「歌」よりも大きいからだ。
この後数百年を経て、上代歌謡(または記紀歌謡とも呼ばれる)と呼ばた「歌」の技法は洗練され、大和の国、朝廷と国家という認識が生まれるにつれ大陸から入ってくる「漢詩」に対する「和歌」と呼ばれる文芸に育っていく。
2006年04月


共同体の中で生まれ、口伝されていく「歌」。
この「歌」は文字にとして残っていない。
なぜなら、当時の日本にはまだ文字が存在していなかったからである。
文字が存在しない世界での情報伝達とその保存は、選ばれ鍛えられたものが知識・記憶としてそれを伝えていくことになる。また、長い時間共同体の中で存在するためには、その構成員全てに「聞こえのいい言葉」「記憶しやすい言葉」でなければならない。
以前、大和朝廷成立前後を取り上げたテレビ番組で「上代歌謡」なるものを研究者が数編読み上げておられたが、「和歌」のように三十一音字ではなく、強調したいものを何度も繰り返したり、同じフレーズで始まる幾編かのもので構成されていたのが印象的であった。
「文字がない」ということは、「文字から自分自身の思考を再構築できない」ということである。
したがって、省略や比喩、無理な音字数の統合は情報の伝達には障害になってしまうのである
2006年04月


大陸から入ってきた「漢字」を使いこなし、それまで使われていた「言葉」に当てはめ、日本語化し、それを文字として「書き」、読む者が「音の日本語」として認識し、意味を共有できるようになるまでには相当な時間が掛かったことだと思う。
私は、その時間の流れの中で、「定型」が生まれてきたのではないかと思う。
「音」に加えて「文字」が使われるようになるということは一種の「情報革命」である。文字を使うことによって、それまで以上に多くの情報を扱うことが出来るようになる。それがまた新たな情報の集積を生んでいく。
ここで単純に「音」を「文字」に置き換えるだけの作業では、膨大な文章が煩雑に積みあがっていってしまうため、省略と音字数の整理によるリズム付が生まれたのではないだろうか。
日本語の話し言葉は、偶数拍をもって表現される場合が多い。
「七・五調」の会話というものは少ない。
書くことによって時間を越えてしまう言葉(歌)の内容を、出来るだけ正確に伝えるための技法として「七・五調」は発明されたのではないだろうか。

2006年05月


川柳で「定型」「非定型」を考えるとき、「中八音」がまず槍玉に挙げられる。
私は以前から、「一音多いことで意味の限定が起こってしまう」「読み手が読むときの間を一音と数えた七音プラス間」という考え方で「中八音」を好ましく考えていない。
実を言うと「上五音」についても「七音」や「八音」にまでなってしまうものに対しては違和感を感じないといえば嘘になる。
ただ、この場合「上七音や八音」と以下の「七・五音」の部分を「二章一句」的に解釈することによって、複雑な状況に「軽味」を与える技法として容認しているし、そのような作品を意識的に作る事もある。
以前、川柳界外のメディア・企業における川柳募集投稿作品における「中八音」の比率が上昇してきている、というお話を伺ったが、千年以上続く和歌以降の「七・五調」について考えたときに、この現象は「日本語という言語」の変化と言うよりは「情報の多様化。多重化」による、「作者と読者の事象に対する認識のギャップ」を埋めるために、自然発生的に起こっている現象ではないかと考えるようになった。
つまり、カタカナ語や外来語の増加という単純なものではなく、世界観の拡大によって、伝えたい意味が拡散する事を防ぎたい作者と、膨大な情報の中で表現されている事柄を共有するための労力を省きたいという読者の利益が一致しているからではないのだろうか。
2006年05月


川柳投稿作品における「中八音」の増加について、情報の多様化、多重化による、作者と読者の事象に対する認識のギャップを埋めるために、自然発生的に起こっている現象ではないかと書いたが、加えて、IT技術による情報伝達手法の変化も理由の一つではないかと考えている。
文字が無かった時代と文字が使われるようになった時代にかけて起きた変化。
「音」の口伝による情報伝達から、「書」による伝達によって起こる「話し言葉」と「書き言葉」の変化と似たような状況が「話し言葉」や「書き言葉」と「メールやウェブブラウザを通した言葉」との間で起こり始めているのではないだろうか。
ソフトバンクの孫正義氏が言う百年に一度のチャンス「情報革命」は、利益を生む生まないにかかわらず、生活のあらゆる分野に波及し始めている。

レシ」と「カレシ」で意味が違うように、
ラブ」と「クラブ」の意味が違うように、

短命ではあっても、その言葉がそれまで持っていなかった意味を有するような現象をよく見かける。その意味を伝えようとする思いが、七音と五音の間に一拍の無音を入れることに対する不安を生むのではないだろうか。
一般公募、企業募集、など川柳を作ってみたいという人口は増えている。
「川柳は五・七・五で作る」という認識は浸透していると思うのだが、生まれてくる作品に「五・八・五」が増加しているという。この「八音」は意識的になされているものか?無意識になされているものか?
川柳界以外の募集作品の入選句を見ている限り、また、ネット上の多数の情報の中に存在する川柳の作品を見ている限り、私には「無意識」に行われているように思える。
定型に対する所謂「拘り」が薄いのではないだろうか。
もしそうであるとするならば、「中八音」を否定することで「川柳」は新しい表現の荒野に立つことができるかもしれない。「一音少なく表記することでどれだけのことを伝えられるか」が表現者にとって魅力になる可能性もある。
2006年05月


日常的に川柳を「意識して作っている者」と、「チョッと書いてみようかな」的な投稿者とでは、短詩文芸に対する意識が明らかに違うはずである。
日本語の背景に変化が起きているとしても、定型短詩というジャンルに拘る事の意義を、今一度確認しておきたいと思う。
但し、「表現したいことを表現する形態は無数にある」がその中からあえて「川柳」が選択されたからといって「句によって表現されようとしている事柄の評価」が「定型か否かという句体のみによって下される」つまり「表現されている内容よりも句体が優先する」ことには危機感を覚える。
2006年05月


◎音字数

女房は不自由な女王蜂のファン

さて、この言葉何音字だろうか?

「ニョウボウハ フジユウナ ジョオウバチノ ファン」
5・5・6・2で18音になる。

ところが、
「ニョウボハ フジュウナ ジョウオウバチノ フアン」
4・4・7・3という18音で読んでも通じる、というかそう発音されている方もおられる。
女房と不自由はワープロソフトでは「ニョウボウ」「フジユウ」と4音で入力しないと変換しないが、女王蜂は「ジョオウバチ」「ジョウオウバチ」のどちらで入力しても、変換してしまう。
「ファン」「フアン」はスポーツのインタビューなどを聞いてもどちらも使われている。川柳でも2音として使われていたり、3音として使われていたりもする。

関西のほうでは「灯油」を「トウユ」と発音せず「トウユウ」と発音する方が結構おられる。
そのままの感覚で句を詠まれると、一見字足らず(実祭字足らずですが)に見えてしまう。

新聞・雑誌・柳誌で句を読む場合、作者がその句を作った時の音のリズムを正確に再現して読者は読んでいるだろうか。
私は、送られてきた柳誌を声に出して読むとき、たまに不安に駆られる。
最近は方言ブームとかで「方言川柳」という作品集なども見かけるが、話し言葉で作られた句が、耳で聞いたときには自然でも、活字になると不自然なものに見えてしまう。

本当にたまにだが、そんな場面に出くわすことがあるのだ。

あ、そういえば「本当」も「ホントウ」や「ホント」と会話の中で無意識に使い分けていたりする・・。
2006年04月

◎カメムシ

友人から電話があって、「関西から届いた荷物の中に変な虫が入ってんだよ」というので見に行った。

一目見て「カメムシじゃん」と私、
「え?カメムシなの、これ。じゃぁ屁っぴり虫のこと?」と彼、
「屁ひりとか屁こきってのはゴミ虫のことだろ?」と私。

そこで、ちょっと調べてみることにした。

カメムシは、西日本中心に生息しているらしい。私は関西出身なので「カメムシ」と聞けばイメージが浮かぶが、東京生まれの人にはピンと来ないようだ。
「屁ひり虫」
で検索をしたら、正岡子規の俳句が出てきた。

御仏の鼻の先にて屁ひり虫  正岡子規

友人は「虫には仏様の有難さは解らないからな。」という。
この解釈に私は軽いショックを覚えた。
この句を読んだとき私は「そういう存在の御仏を敬う、人という存在の可笑しさ、哀しさ」を感じていたからだ。

俳句は自然を詠む。川柳は人間を詠む。という言葉をそのまま受けて、人を詠もうとして川柳を書いてきたつもりだ。読者に何を訴えたいかを考え、川柳を書いてきたつもりだ。けれども出来上がった句は「読者なりの読まれ方」をする。
川柳を読んだときの余韻は、そういう風に川柳を作っているから味わえる「作り手であり、読み手である」からこそのものになっているのではないか。
これは軽いショックでは済まないことかもしれない。

2006年04月

◎川柳のジャンル

「川柳」というより「川柳界」と云われている場所は不思議だなと思う。「川柳」はその歴史の始まりから幾つかのジャンルに分けられるほど、社会と人間を見つめてきたと思うのだが、どうして一括りに「川柳」として認識されないのだろう。
たまに「我々のやっているのはサラリーマン川柳などとは違う」と仰る方がいる。
昔は本格的な川柳の定義付けの話のように聞いていたのだが、よく考えてみるとこれは「川柳のジャンルの好き嫌い」であって、「川柳はかく在るべきだ」という論ではない。もし「どの川柳が自分に合うか合わないか」という意味で、その「合う合わない」が「句会で抜けるか抜けないか」であるとしたら、なんだか寂しい気持ちになってくる。

2006年04月
◎表現したい思い・伝えたい思い

拙句

禁忌の森に 建つ摩天楼  帆波

を例に考えて見たい。
形式は七・七。武玉川とも十四字詩とも呼ばれる。
「森に建つ摩天楼」としたが、更新するぎりぎりまで「森を縫う摩天楼」と迷っていた。私の中の正解は「縫う」なのだが、「縫う」と表現させない私がいる。「縫う」を選ぶのならば、もっといろんなことが表現できると思う反面、他人に理解されづらい方向の扉を開いてしまうのではないか。私が始めて触れた「川柳」と、私が作る「川柳」がどんどん離れていってしまうのではないか。そこのところで躊躇してしまう。
一読者としての川柳の好みと、作り手としての好み。それは姿形ではなく、伝えたい思いや、感じたい思いの部分で重なるのが理想ではないかと考える。しかし伝えたい思いは、川柳の読者であった頃に句から受けた感情とは違うジャンルの感情を、川柳という形式を持って表現することを欲し始める。構造偽造や粉飾決算。ワンクリックで行き来する天文学的な数字。情報の海の中で真実に迷う心。それらの集大成のような摩天楼。その物理的存在をメタファーとするのか、その影をもって侵食されていくさまをメタファーとするのか。
正解はない。
これは正邪ではなく、自分自身の好みの問題になるのだから。

2006年03月

◎高点句集を読むとき

競吟作品を詠む場合に、過去の上位入選作品を読んで参考にするというのは避けるべきだと思う。句を読むなというのではない。「類題別高点句集」的な作品集を読むときの気構えとして、おさえておきたい概念である。
競吟の選出句はそのときに提出された集句の「相対的」評価であり、「川柳作品」としての「絶対的」評価ではないのだ。「三才」や「特選」を絶対的な評価だと勘違いすることから始まる作品の模倣は「川柳」そのものを危うくしてしまう。そのような認識から「伝統」「革新」を謳うとすれば、何の進歩も発展も発見も起こらないであろう。
特選はその集句のなかから選者が判定した相対的評価であって、「川柳」という短詩文芸における絶対的評価ではない。そもそも川柳だけでなく、他の芸術・文芸においても「絶対的評価」というものが存在しているとはいえない。求めるのは作品の位付けだけではない。

2006年02月


◎頭で詠んでしまうとき

川柳が詠めなくなる原因の一つに、「発句動機」を自分の頭の中で探そうとしてしまうときがある。今の現実、過去の事実、を源泉とした発想ではなく、数多くの川柳作品の中から自らが認識している一定の着想の範疇に物語として作品を構築していく行為だ。
五感をもって築き上げた経験以外から生み出される作品は、そうでないものと比較した場合、明らかに劣る部分が見える。他者、読者が気付く気付かないではなく、詠んだ自分自身が気付く瑕疵である。
発句動機は社会性だけではない。「発句動機」が「川柳」の大切な要素であるならば、句会での「課題吟」「題詠」ほど、難しいものはない。
人生や生活の中で、「これは詠まなければ」「これは訴えなれければ」という動機があって句が作られるのではなく、与えられた課題に対して「詠まなければならない」からだ。しかし、過去の課題吟集には、沢山の素晴らしい作品が残されている。これは「発句動機」というものが必ずしも「社会性」を持っていなければならない、ということではない、ということではないか。
世間の川柳認識の一部にある「落首的」「狂歌的」側面は川柳の必要十分条件ではなく、あるジャンルの川柳のひとつの要素に過ぎないのである。
2006年02月

◎人の数だけ川柳がある

人の数だけ川柳(作品)があるということは、人の数だけ川柳の考え方があるということだと改めて認識している。
「句会川柳」と一言で括ろうとしても、その座の性格、地域性、指導者同人の意識・・etc。さまざまな要素が存在するので、「句会川柳」と「何々川柳」のように対比することで理解しようとしてしまう。できるだけ違うものを見つけてきて、相対的に理解しようとする。
しかし川柳である以上、どこか同じ要素を抱いているわけで、本質が変わってしまっては「川柳」とは呼べないものになってしまう。ではその「本質」とは・・。で、また同じ繰り返し。
人の数だけ感じ方考え方があるのではないか・・。となっていく。
だから「川柳」を辞書で引いてみて、「書かれていることは間違いではないが、どうも上辺だけで・・。」などと感じてしまう。
私は今現在(こういう表現はずるいのだが・・)「発句動機」が「川柳」の大切な要素ではないかという考え方をしている。
2006年02月


                 
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