川柳について あれこれ VOL6

◎川柳の幅の広さ
川柳がたいへん幅の広い文芸だという事を今まで書いてきたが、このことで一般にいう「難解句」の持つ背景を少しでも理解していただければと思っている。
しかし、詩性であれ、心象の極であれ、作者自身の奥にある欲求からなされることが肝心だと考えている。
句会川柳について、「模倣」「暗合」「説明」の弊害を書いたつもりだが、
行き着くところは「抜ける」という句会の持つ表面上の評価を求めるが故の行為であってはならないとの思いからだ。即ち川柳は伝統・革新など、表現に違いがあろうとも、川柳界という世間に比べれば狭い範囲での評価を求めることが第一義になったときから色褪せ始める。

句会、柳誌等で活字になったものがその作者の全てではないのだ。勿論没句には没句の理由があるし、抜けた句には抜けた理由がある。しかし作者の実存はその両方の句の中にあるのだ。
2005年07月


◎川柳と芸術
「日本人としての文化の蓄積をもって、その侘び寂を追求する。その人間の視点に俳句の芸術性がある」と書いたが、では川柳に「芸術性」は存在しているのだろうか。私は次のように考えている。「哲学は芸術」、「芸術は哲学」この二つの語順を変えただけの言葉に対して、同じ意味・同じ印象を持たれるだろうか。「芸術は哲学」ならともかく、「哲学は芸術」となると、少し違和感を感じるだろう。川柳は芸術として世間的に認識されているとはいえないが、それ以上に哲学としても認識されていない。
しかし、作者が意識するしないに関わらず、人間を詠むということの奥には哲学がある。
川柳の間口がこんなにも広く、その中にある扉の向こうがこんなにも深いとは、ほとんど知られていない。その広さ深さが、川柳を芸術と考えるときの違和感に繋がるのではないのか。
「川柳は誰にでも詠める」その「誰にでも」には、画家、作家、政治家、サラリーマン…すべての人間が含まれる。川柳を追及していった先人の残したものを、他の芸術が取り入れることはあっても、川柳が他の芸術からわざわざ取り入れるものは少ない。
何故なら、その芸術家が川柳を詠めばいいのだから。

2005年07月
「それじゃぁ川柳だよ」と言われ
川柳や俳句を知らない人でも、年に一度や二度五・七・五で何か詠むことがあるだろう。そういう時の他人の反応はおそらくこういうものが多いのではないだろうか。
「なんだいそれ、それじゃぁ、俳句じゃなくて川柳だよ」
「季語がないからダメだよ、それ」
おそらく、面白いもの、軽いもの、人を笑わせるものが「川柳」だと認識されているのだろう。そして、これを許せない川柳家が沢山おられる。
しかしちょっと考えて見て欲しい。
動機がどうであれ、その人は言いたいことがあって、伝えたいことがあって、五・七・五で日本語を編んだのではないのか。
情報化社会の進展で、人は今まで触れることのできなかった情報へ簡単にアクセスすることができるようになった。良い発見もあるだろう、矛盾に出会うこともあるだろう。そのときに感じた思いを句に託す。その感情を大切にしたいと思う。

世間がいう「俳句じゃなくて川柳だよ」の言葉は、ある意味では本質を突いていると思っている。

2005年07月
川柳と俳句の対比
私が「伝統」「革新」に拘らないといっても、そういう比較が川柳にあることは事実だし、もっと言えば、俳句との比較で川柳が語られることもある。
私はこれが不思議でならない。
(俳人の方には失礼な表現もあるかもしれないが、ここからは全くの私個人の認識だとご理解頂きたい)
俳句は俳句だし川柳は川柳。発句する動機の部分で異なったものだと考えているからだ。
俳句の世界は比較的小人数で徒弟制がしっかりしており、小さな会の集合体として一門ができ、それぞれの宗匠を中心とした、表現の模索と研鑚が行なわれている。
自然界にあるもの、いわば「神」が創ったものを愛でる。
人間として日本人としての文化の蓄積をもって、その侘び寂を追求する。
その人間の視点に俳句の芸術性があるのだと感じているが、川柳はこれとは違っている。

人間を詠むということは、自分をも詠むということであり、自然を見てどう感じたかの奥にある何故人間はそう感じるのだろうか、という部分の探求までが守備範囲になってくる。そもそも「神」というものを創造せねばならなかった、人間の根源的な部分に手を突っ込んでしまうのが川柳の特徴でもある。

この感じ方・気付き・見付けは、作者当人の個人的要因によって大きく左右される。
川柳が俳句のように小人数の徒弟制からなる一門的集合体であったなら、その作品は、宗匠のパーソナリティーの縮小再生産を繰り返すことになってしまう。
俳句が先人の築き上げた自然・文化への視点の鍛錬場であるならば、川柳は自然・文化の中で歴史をつないできた人間の本質への探求だといえる。
互選形式を中心とした俳句の世界が「習いたい」「学びたい」という人達の思いを満たせる反面、競吟を中心とした川柳の世界では「習いたい」「学びたい」という人達の思いを十分に満たすことは出来ない。なぜなら、個々人の感情のあり方は、誰かが教えるという種類のものではないからだ。

川柳家が俳句に負けていると感じるのは、作品や論ではなく、句会システムの安定性・会員の流動性に対しての思いからではないだろうか。
2005年07月


◎伝統・革新の意味

句会や吟社川柳で川柳を学び始めたばかりの方々は、「伝統」と「革新」という大きな二つの流れがあって、それが対立しているような話しを聞いたり、聞かされたりして驚かれることだと思う。特に手法、一瞥した句の姿の違いから、雑誌・マスコミなどへの投稿川柳との差・違和感を感じられる方も多い。
川柳はその本質の部分に、「自分の思いを吐露したい」「発信したい」「それを読む読者からのフィードバックよって自分を認識したい」
などの作者のメンタリティーを鎮定化することへの欲求を満たすという部分がある。
したがって、地域、世代、地位、性差等、作者のパーソナリティーによって琴線に触れる表現手法に差が生じてくる。私は、その手法の集合体の大まかな別が「伝統」「革新」だと考えている。

だからどちらかが「川柳」として上だとか下だとか、そういうものではないのだ。
句を詠むという本質的な動機の部分は同一であるからだ。
2005年07月


◎説明句考
過去に佳句と呼ばれた作品と、句会でよく聞く句には明らかな違いがある。「説明句」かどうかという違いである。句会人、または句会屋と呼ばれる達吟家は確かに存在する。が、彼らの句を一句でもそらんじられるかと言うと、私には自信がない。
句が抜けたこと、上位に採られたこと、合点が多いことは感覚的に判っても、句会が終わった後に句が印象として残っていない。競吟の世界で約十五年やってきて、何度同じ着想、同じ仕立ての句に出会って来たことか。
またその中で、幾度私自身が自分の句の模倣を行ない、抜けることに拘り、思いのない一行を句箋に残して来たことか。句会というシステムは、句を競い合うという点では洗練され、完成されたものだと思っている。

何も偉そうに、そこの範囲で楽しむことを否定するわけではない。

作句力を競う、その先に「競うことによって現れる結果を競う」地点があることを否定するわけでもない。

川柳には、句会で「相対的な評価を競う」という楽しみ方だけでなく、自分自身の思いを表現できたかどうかという、いわば「作者自身という絶対者による評価を楽しむ」地点もある。そういうことを頭の隅にでもいいから置いて欲しいと思っている。

2005年06月

川柳は日本語で書かれている。もちろん英訳や、漢訳を試みられた先人もおられるが、まず日本語で、日本人である読者に判るように書かれている。
情報の伝達である以上、何時、誰が、何処で、何を、どのように、という要素が含まれていることが前提になる。ただ、この全てを備えたものは文章であって、句でも詩でもない。
十七音字しかない作句を考えるとき、文章の要素を備えている着想から何を省略し、そのことによって何を広げるのか?推敲とはその作業のことだといってもいい。
仮に「誰が」を作者としたとき、比喩表現として「何時、何処で」を模索することもあるし、「どのように」がそのまま比喩になる場合もある。句会で説明句が多いのは「何を」の部分が「題」に寄り掛かりすぎるからではないかと感じている。
そのために比喩表現に置換わる要素を持っている「どのように」の部分で句を説明し、断定してしまっているのだ。
また、「何時」「何処で」についても、与えられた題の範囲での「着想の説明・解説」として用いられやすくなっていく。
つまり「題」に対して「上手い言い方」を模索し、それを選者に「伝えようとする手段」として川柳の形態を借りているといってもいいかもしれない。評価されることを期待するがあまりに解説をしてしまう。説明句を作る作者の精神的背景はこの様なものだと考える。
2005年06



説明句を作る背景は、評価されるための解説、または保険として、本来省略されるべき語彙を句の中に残してしまうものだと感じているが、その作者が、そのまま選者になった場合、彼・彼女らは、句箋に描かれた句境よりも、「説明・解説」をされて浮かび上がっている「上手い言い方」を評価しようとする。
つまり選者としてではなく、同じ作句者としてその苦労の跡を評価してしまうのである。
この循環(悪循環とまではあえて言わないが)が説明句を大量に生む結果になっているのではないだろうか。私自身もそんなに偉そうなことを言えたものではないのだが、とてつもなく広い川柳の間口の中にある、抜き差しならなくなる泥沼の扉を開けた人達のためにも、句会川柳の問題点としてこのことを書いてみようと思った。
2005年06月


常套句といわれる言葉も、始めは新鮮な表現であったはずだ。何度も模倣され、使いこまれていくうちに、その語彙によって表現される範囲が自ずと確定してくる。そうなるとその語彙を使用しただけで「説明句」ということになってしまう。
作者自身の思いだけでなく、語彙が背負っている意味自体が句を解説してしまうからだ。
世間一般の感覚とずれている事を承知で書くと、現代川柳界の中で「修羅」「風」「削除キー」「背中」「蝸牛」等の所謂「句会常套句」を作句に用いる事を恥かしいと感じる心を何処かで持つべきだと感じている。絶対にその言葉を使うなというのではない、その言葉が用いられた句の存在した意味、背景、時代、時間、作者、そういった諸々の事柄までを背負った語彙として句の中に用いてはいけないということだ。
川柳の地位が低いとは私は全く思っていないが、
そうした誰かが発見した語彙が、句会という空間の中で模倣されながら縮小再生産されてしまう事は、時代を超えて残ったかもしれない作品の価値を自ずから貶めているという事に気付くべきだと思う。
2005年06月


若者言葉的になるが「川柳する」ということを考えてみたい。
句会で句箋の句を書くことは「川柳する」ことだろうか?
応募葉書へあれこれ考え抜いた句を書くことは「川柳する」ことだろうか?
ふと、思い浮かんだことを句にしようとして指を折る事は「川柳する」ことだろうか?
いずれも「川柳する」事だと考える反面、そうでないとも感じている。

「川柳する」ことと「川柳していない」ことの違いは何処にあるのだろうか?

無意識に説明句を作ってしまう原因の一つに、「選者」以外の読者を想定しないで作句してしまうということがある。抜けるという結果によって句を完結させようとする意識がそうさせるのだといえる。これは公募でもそうだし、ふと浮かんだときに柳誌の雑詠欄の選者を思い浮かべたときも同じである。
句を完結させるのは、作者でも選者でもなく、多くの人の目触れ、様々な解釈を経るという時間が必要なのではないかと最近感じている。
川柳が泥沼とか、蟻地獄だとかいわれるのは、作者自身の中で自己完結が出来ない文芸・文学だからなのかもしれない。

2005年06月


◎へそ曲がり

時事川柳はたいていは庶民の味方であり、権力に立ち向かうスタンスのものが多い。しかし、沢山作っているとたまに庶民をこき下ろしたくなる事がある。
例えば、「政治家を悪く言うのはいいが選んだのは誰なんだ」
「税金の無駄遣いに文句を言うくせに不景気になれば子供を公務員にしたがるのは誰だ」
みたいなへそ曲がり根性がふつふつと沸いてくるのだ。
そうなると今度は、自分が一番偉いのかと、自分に対して自分で攻撃を始めてしまう。時事のつもりが雑詠になっていく。
まこと川柳とは、いや人間とは飽きないものだなと思う。
2005年05月


◎文学・芸術としての川柳

川柳は「文学」なのか?
辞書によると、文学:(literatuer)想像の力を借り、言語によって外界および内界を表現する芸術作品。すなわち詩歌・小説・物語・戯曲・評論・随筆など。文芸。
となっている。

川柳が、想像の力を借り、言語によって外界および内界を表現する作品であるならば、間違いなく「文学・芸術」であろう。そこに違和感を感じるとすれば、絵画や音楽と違い、どこまでの普遍性を持っているかという点だ。瞬間の解釈に同時代性を要するものを芸術と呼ぶことに、抵抗のある人は多い。
小説ほどの文章量があれば、描かれた時代が過去になっても、作者が捕らえようとしたものが逆にピュアに浮かび上がってくるのだが、川柳は十七音字と短い。つまり、句によって提起された作者の思いは、その作者の人となりを知った上でないと、より深い理解を得られない。という場合がある。そういう句を、「私川柳」とでも呼ぼうか。

しかし、川柳というツールはそれを超えた表現への扉をも開いてしまう。作者のパーソナリティーを超えたところにある、人間の外界、内界を表現しようとする。私が考える「だろう川柳」もそこを考えている。間違ってはいけないのは、これは人間というもののテーゼを求めるということではない。それでは道徳標語になってしまうし、単なる矛盾、衝突の列挙になってしまう。もっとも、そこまで考えてしまう事がすでに作者のパーソナリティーであったりするのだが。
2005年05月



               


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