江戸期


◎柄井川柳
川柳とは人の名前である。
その人の名は柄井川柳という。

人間の名前がそのまま,文学・文芸の呼び名になっている例は世界的に見ても類を見ないだろう。彼は,連歌の附句から発展した前句附(十四音の前句に対して十七音の附句を詠んでいくもの)の点者(選者)であった。
江戸時代宝暦年間(1750-)ころから江戸で盛んになり,途中下火にもなったが,
享保年間に再び盛り上がったこの前句附の多くの点者の中でも、柄井川柳はすば抜けた人気を博していた。      

◎誹風柳多留
柄井川柳ら、前句附の点者による選考結果は、「万句合(マンクアワセ)」と呼ばれ,最盛期には文字通り数万句の投稿があったという。

この万句合の中から秀句を抜き出して、「誹風柳多留」というものを編集したのが、呉陵軒可有(ゴリョウケンカユウ)。出版およびスポンサーしたのが、花屋久次朗(ハナヤキュウジロウ)である。

川柳の歴史的認知はこの三人によって始まったといっても過言ではない。
川柳亡き後,長男,その弟(五男ともいわれる)がその後を継ぐが、三世の死後その血統は途絶えてしまう。しかし、四世,五世と後を継ぐものが現れ、現代もその名を継ぐ方がご活躍されている。


◎俳風末摘花
「俳風末摘花」(ハイフウスエツムハナ)というものがある。
「俳風柳多留」同様「川柳評万句合」から抜き出された句によって、編纂されているものである。当時は、句会の句を書き並べる際に句の内容に応じて、高番・中番・末番の三種に分けられていた。
高番は公家・武家の繁栄などを扱った高尚なもの、
中番は人事一般を取り扱ったもの、
そして末番は恋愛や性的な事柄、糞尿など下世話な事を扱ったものとして、それぞれ分けて記載されていたのである。

つまり「末摘花」とは末番句を集めたもの・抜き出したもの、と理解してよい。
また、下がかったこと、みだらなことを「ばれ」ということから「バレ句」「破禮句」とも呼ばれている。しかし、末番句といっても全てがエロチックな作品ではない。単なる恋愛をテーマにしたものも存在する。また、裏にもっとエロチックな意味が隠されているという推測が、鑑賞の妨げになる場合もある。

『参照 川柳末摘花註解 岡田甫著 第一出版社 昭和二十六年発行』


◎湯気の立つへのこ
ゆげのたつへのこへ大家よんでみせ  (末一5)

この句の解釈を表面的にしてしまうと単なるAVの一シーンになってしまう。
「何故大家を呼ぶのか」
これが判らないと真実の面白さにたどり着けない。
(川柳末摘花註解 岡田甫著より解釈を引用させて頂くが、なにぶん古い書物であり、そのままでは難解な部分もあるので、私なりに判り易く表現させて頂いた。)  

現代では不義密通(ずいぶん古い表現だが)を刑法犯罪として処罰することはないが、江戸時代においては大変な罪であった。当時の法令では
「姦通を見つけたならば、訴え出なくとも殺してよろしい。但しその場合二人とも殺しなさい、
どちらかを生かしておけば夫も死罪にする。しかし、現場で殺さない場合は訴え出なさい、
その場合夫の希望に添うように審判を下します」
となっている。

よく「重ねておいて四つにする」などという文句を聞かれた方も多いと思うが、この法令が元になって出来た言葉である。
しかし武士であれそう簡単に刀を抜くことは出来ない時代(時代劇とは勝手が違う)一般の人間が人を殺めるなんてことはまず難しい。仮に殺めることが出来たとして、本当に不義密通だったと証明出来なければ、夫は殺人者ということになってしまう。
つまり、不義密通を装った殺人事件と取られかねない。
従って確実な証人を用意できない限り、お白州では通用しないのである。

そこで「大家」が出てくる。
「大家といえば親と同じ」
などというが当時の大家はそんなものではなかった。

地主によって差配された大家の権限は、警察、消防、行政、簡易裁判、・・等々相当な役目を請け負っており、その結果差配する店子が公なる事件を起こしたなら、大家の管理責任も問われるという大変な仕事であった。密通という犯罪が行われた現場で、法に則って殺害が行われても、証人がいなければ店子の殺人事件。これは大家の責任になってしまう。

そこで
「ゆげのたつ」
うちに大家を呼ばなければならないのだ。
そうなると大家も必死。殺人が起きてなくとも、不義密通という大罪が行われたのであるから、大家も多少なりともペナルティーを科せられてしまう。
そこで、次のような句が詠まれたのも無理ないことだと思う。

二人とも帯をしやれと大家いひ  (一一20)


◎七つ口
七つ口男をおいしそうに見る (末二2)

城や大名屋敷の邸内の表と奥との境にある門のことを御錠口という。
この門は時間を定めて錠を下ろすことからこのように呼ばれているのだが、中でも大奥の御錠口は七つ時(午後四時)に錠を下ろすため「七つ口」と呼ばれていたという。
この門を通じて、大奥に必要な物品の注文や受け渡しをするのが、奥女中の仕事の一つである。彼女達は普段表に出ることが出来ない。
つまり、この句の意味は、
「うら若き少女達が男気のない大奥で唯一男性を目にすることの出来る大奥の御錠門、そこに物品や文書等を運んでくる男達を、彼女達が眺めてはキャーキャー言っている」
というずいぶん勝手な男の想像というか、巷間言われている下世話な噂話を、「おいしそう」という言葉で巧く表現したというだけのものである。
確かに「おいしそう」という表現は現代の川柳にも通じる比喩的表現ではあるが、「七つ口」となると、当時でさえ隠語の範疇に入るのではないだろうか。

現代から見れば、末番句には川柳と呼ぶよりは、
謎掛けや言葉遊びと呼んだ方がしっくりくる作品が多く残されている。

『参照 川柳末摘花註解 岡田甫著 第一出版社 昭和二十六年発行』

◎狂句時代


四世の時代,前句附、(この時代通称としての「川柳」という呼び名はあったが,まだこの文芸をして「川柳」と呼ばれていたわけではなかったようだ)この文芸の名を「誹風狂句」と改め、五世はそれをまた「柳風狂句」とする。
初代川柳のころの句は,人間朗詠の側面を有し、下卑た笑いではなく朗らかな笑いを誘うものであり、その風刺、皮肉には,人生を感じさせるだけの深みを抱いていた。

しかし狂句と呼ばれる時代になって、謎掛けや判じ物が増え,卑俗猥褻なものがテーマとして取り入れられることが増えていった。

その後時代が進み、
明治三十年代,井上剣花坊,阪井久良岐という二人の人物が現れる。



                      

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