川柳の技術的なことあれこれ VOL 4


◎多作
 
句会等へ参加し始めると、宿題や締め切りに追われることになる。
初めのうちは「題」があるので何とかこなして行けるが、「雑詠」となると大変なことになる。
一題に三句作るのも骨なのに、雑詠は五句、十句出してください等といわれる。

そこで私が考えたのは、辞書を開いて当てずっぽうに言葉を拾い、それを「題」として作句するという方法だった。
そのうち新聞紙の上に紙くずをばら撒いて、その下にある言葉を書き出して、一つ五分、三分と延々と句を作っていくという方法も採った。
五分で十句出きることもあれば、一つも出来ないこともある。
一つも出来なくてもタイマーが鳴れば次の言葉で作句にかかる。
昔は句会でも三分吟や袋回しという、即吟・互選の形式を取り入れていたところもあったようだが、最近は聞かなくなった。
まぁ兎に角、多作というか着想の羅列というか、そういうことをしたものである。

しかし、これには欠点もある。、自分の作風という以前に、作り易い言葉を多用して、それなりにまとめてしまう癖がついてしまうのだ。
2004年12月


数をこなす為の作句テクニックというものは、吟社・結社に所属していればおのずと身に付いてくる。
難しいのは、奥底から湧きあがってくる自分の感情を句にするときに、そのテクニックを使ってしまうということだ。過去の自分の句の模倣をしてしまうのだ。
この模倣とは、テクニックの模倣のことである。
先に書いた「それっぽく見せる」テクニックの事だ。出来上がった時はそれに気がつかないのだが、後で読み返して微妙に思いとずれている。
自分の技量が足らなくて、本当は句に出来なかった着想なのかもしれない。それを傾向と対策的なテクニックで誤魔化しているのだ。
私自身、何百句こんな思いをしてきたことか。どうにもここを超えられない自分に苛立ちを感じている。
2004年12月


テクニックの模倣と言うのは、仕立て方の模倣と言った方が判り良いかもしれない。
沢山句を作っていると、自分の中の定番語というものが生まれてくる。
私自身でいうと、「社が潰れ」をよく下五に持って来ていたことがあるし、「〜とか」や「ですます」調の下五などである。これらが全てダメだということではない、「作らなければならない」という環境の中で、苦し紛れに「持って来る」言葉であっては拙いのではないか、と考えるのだ。
冷静に考えると「作らなければならない」ということ自体がおかしいのだが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが、思いもよらない着想の句が生まれる前提には、ある程度無茶な多作が必要だと考えている。
苦し紛れに持ってきたのか、お座なりにその言葉を置いたのか、表面上はどちらも拙い句であろうが、苦し紛れだったなと自省できる方が私は良いと思う。
2005年1月


多作していく場合に、とにかく十七音字になっているものは全て一句と数えるのかどうか。
幾ら作ったかは自己満足の側面もあるので、数自体にそんなに意味はないのだが、下五を変えてみる、助詞や副詞を変えてみる、いわば推敲の途中経過に入るものを一句として数えることは多作とは呼ばない。
何十句綴ろうが着想が同じならそれは一句である。
「着想ノート」という方法がある。
これは十七音字に拘らず、句にしたい着想を書き綴ることである。
勿論十七音字になっていても構わない。
自分の技量では句に出来ない着想はその時点で出来ないだけで、きっと未来に自分の手で句にすることが出来る。そう信じて、見たもの聞いたもの感じたものをノートに綴っていく。
バラエティー番組の川柳のように、鼓がポンッと鳴って一句浮かぶなんて事はありえないのだ。
2005年1月


今東京の地下鉄(と言っても、東京メトロと都営地下鉄があるのだが、ここでは東京メトロの事)の車両や駅に面白いポスターが貼ってある。
世界の名所?と東京のそれを対比させ、東京が結構魅力ある都市だと訴えているものだ。
「東京日和」という5分間のテレビ番組の宣伝である。
「ビックベンも立派だが、銀座の時計台もなかなかだ」
「ロンドンのバーも渋いけど、有楽町のガード下も捨てがたい」
「自由の女神も凛々しいが、上野の西郷どんも格好いい」

と、大体こんな調子で書かれている。

この前の多作の時に、何十句綴ろうが着想が同じならそれは一句である、と書いた。
この地下鉄のコピーがそれにあたる。訴えようとしている事柄が同じで、方法論も同じ。選定された言葉が違うだけのもの。
このコピーが駄目だとか言っているのではなく、あくまでも川柳の多作を考える時に、私が念頭においているのは、これらのコピーのような句は3句と数えずに、1句として考えるという事である。
2005年1月


◎多読

さて、多作の次は当然?多読である。
実はある意味こちらのほうが多作より難しい。川柳は一句一句が独立した意味を持ち、完結するものであるから、選者でもない限り、百句・二百句と他人の作品を読んでいくと、その行為が作業化してしまい、飽きてしまうのだ。
選者なら目的があるし、出句されたものは、上手い句、いい句、下手な句、惜しい句とバリエーションに富んでいる。
題詠なら、ある一定の範囲の中にあるものをその全体の中での相対的な位置付けを行うわけであるから、飽きるという事はないし、そんな時間的な余裕もない。
選者でもなく、句会場にいるわけでもなく、柳誌・競吟・作句を離れて川柳を読むというのは、川柳に嵌まれば嵌まるほど、意識しないと難しくなってくる。
2005年1月

大概、柳誌が送られてくると、先ず自分の出句したものの結果を確認し、自分の句を反省も交えながらしみじみと見つめるものだ。その次に、仲の良い柳人や顔と名前が一致する柳人、名前だけ知っていて気になっている柳人の句を探す。
掲載されている句よりも、その下にある柳号を懸命に目で追うのである。間違っても広辞苑の「あ」から読むようにじっくり読むことはしない。
ある程度川柳に慣れてくると、今書いたような状況に陥ってしまうものだ。
そこで、柳誌によっては「みんなで選ぶ」というコーナーを設け(互選とはちょっと意味合いが違う)その号全体の中からこれだけの評価がありましたと、次号もしくは次々号上で発表するという形を取っているものがある。
こういった企画に参加する事はとても良い事だと思う。
あちこちの柳誌を購読しているととても全部に対応する事は困難だが、「多読」という行為のモチベーションの維持に効果的な事である。
全体の結果と自分の選考眼の差を見つけられるだけでも収穫は大きい。
2005年1月

数多くの句会、柳誌とお付き合いをされている場合は、なかなか全ての句を読むということは難しい。
「読む」といっても一読するだけならそんなに困難な事ではないが、一句の裏、背景を味わいながら読み進めるというのは大変な事である。
これは多作とも繋がるのだが(多作といっても、題詠・競吟上でのことになるのだが)五客・三才、特選・準特選句だけをじっくり読むという方法がある。先人の知恵でもある。
これは「題」に対する全体像が見えなくなる怖れがある反面、上手い句・いい句とはどんな雰囲気を持ったものであるか、ということが見えてくる、という利点がある。
これだと投稿・出席を含めて月に十数カ所の吟社へ参加しても、多作・多読のバランスがそこそこ取れる状態に持っていける。
ただ、余りお勧めできない方法ではあるが。
2005年1月


「声に出して読みたい日本語」という本がベストセラーになったが、声に出して川柳を読むことは結構多読として効果的である。実は、目では読めても声に出して読むと詰まる事が多いのが川柳なのである。
外在律、内在律というと話が複雑になるが、単純に五・七・五で区切って読めない句が結構多い。また、読めるのだがそれでは思いを上手く伝えられない場合がある。
五・七・五で構成されていても、上五と中七の間(ま)と中七と下五の間(ま)が、まったく同じではない場合がある。長かったり短かったり、それによって句意の伝わり方が違ってくる。
五音でも七音でも同じ調子でその音を連ねてはいない。作者の思いを感じそれを再生するのは黙読では限界がある。
最近ではICレコーダーというものが売られている。私は、これに向かって川柳を読み、それを再生したときに愕然とした。
なんと句意の伝わらない読み方をしているのかと。
2005年1月


◎課題との距離について

「エピソード」という課題の選考を行なったので、選考した側から少し解説をしてみたい。
句会場は、出席・投句合わせて40数名だったので、集句数は120句強。
その中の大半が「披露宴」と「通夜・葬儀」を扱ったものであった。
披露宴でとんでもないエピソードを披露される、や、通夜での艶聞などである。
これはこれで悪い事ではない。
確かに、競吟の性格上重なる着想は「相打ち」といって、没句になる確率が高いのだが、与えられた題に対する句としてできているのであれば、結果はどうであれ課題吟の作句方向としては間違っていない。
困ったのは、エピソードそのものが句になっている場合だ。
つまり、人生の中でこういうエピソードがありましたという、その事柄を句にされているのだ。例えば、結石のある私が、その事のエピソードとして拙句
「数ミリの石が私を凍らせる」
を「エピソード」という題に対して出句するわけだ。
これをどう判断するか。
選考の方向としては各人の「エピソード」を求めるのではなく、「エピソード」と呼ばれる現象が存在する空間での人間・社会のありさまを求めるのである。
個人的に体験したエピソードの報告では、「エピソード」が課題として与えられた競吟の中では選考に馴染まない。私は、題詠は雑詠に向かうプラクティスであると考えてはいるが、完全に雑詠になってしまうと、題詠の選考範囲から外れていってしまう。
以上、句会の楽しみ方の一考になれば幸いである。
2005年1月


◎実作としての川柳

川柳は道路のようなものだと思った事がある。
スポーツカーも軽自動車もオートバイも、人も自転車も車椅子も杖も乳母車も、最低限のルールを守れば自由に使う事が出来る。
目的を持って移動する人、移動自体が目的の人、それぞれが思うままに利用していい。
道路が何で出来ているか考えながら歩く人もいれば、地上の看板を見ながら、眼前の風景を楽しみながら移動する人もいる。このように使う事が正しい道路の使い方だ、などというものはない。(まぁ勝手に寝そべって生活してはいけないが)

世の中には色々な川柳が存在している。
果たして、これは川柳ではない、これこそが川柳だ、という定義を活字として述べる事が出来るのだろうか。
川柳界の中でも、「伝統」「革新」という色分けがなされる場合がある。
学問としての文芸を考えるのならばその事に意味があるだろうが、実作としてその分類を意識する必要があるのだろうか。ある事柄を見つけ、より多くの世間に発しようという創作意欲。そこに「穿ち」「軽味」「おかしみ」という古川柳から認識され続けている川柳のテイストを起点として出来あがった句。その事柄を見つけたときに起こった、自身の内面の感情を吐露したいという創作意欲。そこに新興川柳運動以来続いている、一人称、二人称での視点を起点に出来あがった句。
どちらも同時に存在できるものではないのか。
2005年1月


人間の感情は複雑で多岐に及ぶ。
川柳は他人のそれを扱うだけではない。作者自身の中に起こる喜怒哀楽の感情全てをも扱う事ができる。いや、扱っても良いのだ。
ここに、川柳の社会的認識と現代川柳の微妙なずれが起こる。創られた作品が、作者自身の感情の開放であった場合、それを誰が、どうやって評価し、認識するのか。これらは世間的認識下の川柳作品の域を越えてしまう。
はたして、川柳界における「選者」は、こういった作品とそうでない作品との評価のバランスを、どのように考えてきたのだろうか。

句会作品と雑詠とのテイストの差は、同時に存在出来得る二種類の創作意欲の住み分けではないはずだ。競吟であっても、いや競吟であるからこそ、様々なテイストの作品を選出し評価を下さなければならない。
川柳が前に進むためには、出題する側の「課題」そのものの研究と、出句する側の純粋なる作句衝動の開放が不可欠であると考える。
2005年1月


手と足をもいだ丸太にしてかえし  鶴彬(s12)
日本に寄らば斬るぞの構えあり   岸本水府(s12)
占領占領号外の国となり      麻生路郎(s13)
日本に万歳という好い言葉     川上三太郎(s13)

いずれも満州事変から日中戦争へと向かう時期に発表されていた作品である。
現在の視点で見た時に突出するのは鶴彬の作品であるが、これが作られた時代ではどうだったのだろう。やはり突出はしていたのだろうが、その意味合いは現代と大きく違う。
何故こういう事を書くかというと、「大衆」というものを考えてみたいからだ。

川柳は広く人口に語られ、親しまれ、受け入れられるものでなくてはならない。誰にでも判る平易な言葉で綴られなければならない。ということは良く言われるし、これまでも書いてきた。
だからといって世の中の流れに、大衆に合わせなければ、迎合しなければならないのだろうか。大衆が読むということを前提に全てを創作しなければならないのだろうか。

前掲の句で言えば、当時戦争へ邁進したのは軍部だけの責任ではあるまい。日清・日露・第一次大戦を経た、大衆の加熱心理が存在した事は事実である。
ここで歴史認識や思想信条を語るわけではない。大衆とはその本質の中に、「あいまいであり」「無責任であり」「傲慢である」部分を持っている。この認識を抜きに、川柳は大衆のものである的な理解をしていいのだろうか。
ある時は野党的であり、ある時は与党的である。メディアから同じ情報が繰り返されれば、知らぬ間にそれが世論となっていく。それが視聴率を生み再生産されていく。
世論調査は法的に何の根拠もない。それが意味を持つのは投票行動として選挙に反映される場合だけだ。逆にいえば、為政者は世論が冷めた頃に選挙を行えばいいのだ。
そういう世論・大衆に対して寸鉄を刺す川柳はいけないのだろうか。
2005年2月


詩情豊かな句は世論大衆の心を捉える、のかも知れない。が、自薦中心の川柳界の雑詠では、限られた範囲での評価の模倣に陥りやすいし、事実その傾向を否めない。句会吟でもその傾向はある。

携帯の向こうに僕の影法師
 
という句を作り、句会で抜けたとしよう。
この句の上五を「パソコン」「Eメール」と変えてみたとする。推敲作業の中ではよくある事だが、数週間、数ヶ月してまったく別の句会で、無意識に課題吟として着想してしまう事がある。そして句会で抜けたとしよう。この場合、普通に考えると、作者・選者共に反省点が残るのであるが、抜けたという結果で完結してしまう句会にも考えるべきことがあるのではないか。
全ての句をデータベース化し選考の参考に充てるということは、競吟の性格上不可能に近い。しかし、後日句会報等で何らかの論評が出来ないものだろうか。
盗作・暗合・模倣という形で断ずるだけでなく、句としてどうなのかという評論をもである。
秀句・佳句の評価が数名の選者による句会での位付けのみであり、選考理由や選評がないのであれば、詩情豊かな句・世論大衆の心を捉えるなどといっても、作者の視線は選者の過去の選考傾向に向かってしまう。その傾向の上に作られる雑詠が、はたして世論・大衆云々を語れるものなのだろうか?
大衆へ向かっての句、迎合する句、いずれでもいい、但し、句は選者のみに向かって詠むものではないということを理解しておくべきだ。
2005年2月


◎判る句、判らない句

誰にでも判る句を、ということを何度も書いているが、今度は逆の方向から考えてみたい。
つまり、判らない句とはどういったものか。である。
・自分が判らない、他人も判らない。
・自分は判るが、他人には判らない。
・他人に判って、自分に判らない。
判らないパターンは幾つかあるが、私が句会で感じている「判らない」には次のようなものがある。
・判らない中にある判らないもの。と
・判る範囲にあるが判らないもの。
である。
哲学か禅問答みたいになってしまったが、与えられた題に対して全く見当がつかない内容の句で、尚且つ作者の思いが読み取れないものが前者で、何を今更こういう句を作ってくるのか、というのが後者である。
前者の場合には、雑詠、それも一句では成り立たない連作の表情を持つものまである。何句が揃えば「ああそうか」と理解できるもので、作者の思いがもう競吟の域を越えてしまっている。作句衝動の進化という点では間違いではないのだが、競吟は競吟として楽しむ余裕も少しは欲しいと思う。
後者の場合はそのほとんどが過去の焼き直しである。確かに競吟の世界へ来て間がないのであれば仕方がないだろうが、ある程度慣れてくればこの辺りの事を常に頭の中に置いておくべきだと思う。
ベテランの方が抜けなくなるのは、句力が落ちたり、時代性とのずれが生じたりと、尤らしい意見もある事はあるのだが、自戒も含め、往々にして選者の選考傾向の模倣、停滞がそれを招いているとも言える。
2005年2月


判らない句に対してはディスカッションがどうしても必要になってくる。高齢化が進み、代謝が上手く進まなくなった川柳界で、そのような句に対しての評論を進めていくと、今度は評論の模倣が始まってしまう。これはある程度仕方のないことかもしれないが、何とか避けたいものだと思う。
餅は餅屋という言葉もあるが、畑違いの他者からの批評・鑑賞を積極的に導入する事も必要ではないだろうか。2007年問題というのが巷間言われている。団塊の世代の方たちが定年を迎え始める年だという。当然、初めて川柳に入ってこられる方も多いであろう。
ある意味川柳的手法に染まっておられない方々の、視点・論点・手法が川柳界全体に良い意味での刺激を与えてくれるのではないかと楽しみにしている。
2005年2月


◎虚と実

川柳であれ俳句、短歌であれ活字をもって表現するものには「虚」と「実」が必ず混在する。現実の事象からの刺激によって創作意欲が励起され、強調したい部分に対して感情の演出が働く。短詩型文芸は使用できる言葉の絶対量が少ないため、直接表現よりも比喩的表現へ深化して行きやすい。作者の感情の「実」の部分を「虚」をもって補うのである。
読み手はその「虚」の生み出す空間から、作者の「実」の感情を読み取ろうとする。
この虚実の狭間に味わいが存在するのであるが、作者が「虚」によって強調しようとする「実」の感情と、読者がその「虚」から連想する「実」の感情とが合致しなければ、作者が表現しようとした「実」の存在そのものが「空」と帰してしまう。
しかし、作者は常に読者が正しく連想してくれるように、比喩に工夫を凝らすとは限らない。
「〜のようだ」の「〜」が持つ時事的共有性を検証する以前に、吐露しようとする感情が力を持つことがありうるからだ。
作者の生活環境下における時事的共有性を持つ言葉によって、比喩表現が行なわれた場合、その周辺にいない読者にとっては意味の解からない作品になってしまう。
2005年2月


新川柳以降、川柳は作家個人の思想信条を心象表現として取り扱うことが出来るようになった。ここで句会川柳との大きな違いが現れてくる。作者が一歩離れた地点で人間を観察し、表現するというそれまでの川柳と違い、作者自信に作者の目が注がれてくる。
この事で、句を詠むことによって作者自身が傷付き、悩み、それがまた次の作句衝動へと繋がっていく。そして読者は句によって表現される感情を作者自身として認識するようになる。本来は句で表現されているものは作者のほんの一部分でしかないのであるが、それが作者象として一人歩きを始める。
例外的な「実」であるかもしれないものを総合的な「実」と認識・錯覚してしまうのだ。解りやすい例では、第三者の視点で作られた「妻」や「夫」の句が、そのまま作者の「妻」「夫」であるような誤解を持たれる場合などかそれに当る。
「ダイエットをしている妻」
「ウエストが太い妻」
「リストラになった夫」
という句がそのまま作者の「奥様像」「ご亭主像」になってしまうのだ。「虚」が「実」になってしまうのだ。
心象句になればなおさらこの傾向が進む事は理解していただけると思う。
人間を詠もうとするがゆえ、新たな表現の幅を取り入れた川柳は、作者のパーソナリティーを曝け出しているかのような作品を生み出していく。
2005年2月

表現されている「虚」の部分を通して、読者が認識する「実」の部分が、限りなく作者そのものと重なって理解されてしまう状況のフィードバックが、作者を傷付け、あるいは勇気付け、新たな心象風景を句箋へ投影させる動機付けとなる。こうして心象表現の深化は進んでいく。
しかし、作者はどこまで行っても「川柳」として作品を投じている。では読者はどうか。
深化していく心象表現を認識できる水域に住む読者にとっては、その作品は「川柳」でありつづけることが出来る。だが、全ての読者が同じ水域に住んでいるとは限らないのだ。現代川柳が社会的に認識されづらい部分がここにある。
私は、サラリーマン川柳に代表される世間的な「川柳のエンターテイメント性」と川柳界における「句会川柳のエンターテイメント性」「心象句のエンターテイメント性」がそれぞれ交じり合わない水域に存在しているのではないかと思う時がある。
「川柳は俳句と違って、季語がなく、自由にいろんな事を詠む事が出来る・・云々」との紹介をよく聞くが、この川柳の幅の広さを「川柳」という言葉自体が持て余しているのではないだろうか。
2005年2月


◎楽屋落ち

「関係者にだけ理解でき、一般には分らない事」をいうのだが、川柳には(特に句会では)句意の面白さとは別の所で、この「楽屋落ち」的部分がある。
課題吟は与えられた「題」に対して、出席者全員が頭をひねる。人間の着想にはそんなに差異がないために、同じ題に苦しんだという空間を共有したが故の秀句が存在してしまう。
句意としては大した事はないのだが、よくぞここに気が付いたというポイントである。さて、選者はそういったポイントをどのように評価するべきであろうか。
句座という空間を考えた時に、そのような句を披講する事で座が沸き、緊張がほぐれる場合がある。
「そうか、それがあったか!」
という出席者の感嘆である。
しかし、選考の基本は句意であり、表現される世界である。披講中の演出としてちりばめる事はあっても、高点の位置に置くことはいかがなものかと思う。
2005年2月


◎作句のモチベーション

新聞雑誌等への参加・投稿を目的に川柳を作っていると、当たり前のことだが、雑詠・題詠の別がないことに気が付く。
実は結果がどうあれ、単純に作句するという行為で言えば句会・柳誌のそれよりも楽しかったりする。見たこと、聞いたこと、思ったことを土台にすればいいのだから。
しかし、川柳は不思議なもので、言いたい事をただ書いているだけでは、そのうち飽きてしまう。何か縛りがないとモチベーションが維持できないのだ。
難しい壁を乗り越えて自分の言いたいことが伝えられたときの快感というものがあるのだ。だから句会に参加するのだ。
ほとんどの句会が「課題吟」で競い合うのは、そういった快感と、他者の発想への発見・賞賛という快感が、単なる作句にはない面白さを加味してくれるからでもある。
ただ、ちょっと気を抜くと「楽屋落ち」が潜んでいるのだが。
2005年2月


◎形式化している句?

サラリーマン川柳が、ある種カテゴリー化されたお父さん像・上司像を追いかけているのではないかと書いたが、句会川柳もまた、カテゴリー化された句を作っているだけではないのか。
・年寄りはパソコンが出来ない。
・メールが打てない。
・女房がいないと着替えがどこにあるか判らない。
・上司はセコイし、セクハラをするし、カタカナ言葉に弱い。
そういったイメージを、「修羅」「風」「海」「背」などの、いわゆる定番語で補足し説明しているだけではないのか。
そう考えた時に私は愕然とする。句会でどれだけ「今」を詠んでいるのか?読者層自体をカテゴリー化しているのではないか?
私のやっているのは本当に「川柳」なのか?と打ちのめされてしまうのだ。
2005年3月


                                
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